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ブリュワリー紹介『Beachwood / ビーチウッド』

Beachwood Brewing / ビーチウッドブリューイング 創業:2011年 拠点:カリフォルニア州 オレンジカウンティ 創業者のゲイブはその独特のスタイルや独創的な技術を駆使したユニークな組み合わせの料理を得意とするシェフ。 彼は、そのキャリアを通じて、サンタバーバラのフォーシーズンズリゾート、ブルーパームス、ミュージックボックスシアター、そしてサヴォーリーズなど、南カリフォルニアを代表する著名レストランで経験を積んでいました。 2006年に妻のレナ・ペレルマン(Lena Perelman)とカリフォルニア州オレンジカウンティ・シールビーチにバーベキュー料理を専門とするレストラン「ビーチウッド バーベキュー」をオープン。 ゲイブの料理への強い情熱やこれまでの著名レストランでの経験により、オープン直後からすぐに様々な賞を受賞し、世界クラスのクラフトビール店としての評判を獲得するようになりました。 その後、2011年夏に当時すでに名の知れたホームブリュワーであったジュリアン・シュラゴ(Julian Shrago)を醸造責任者に迎え、ロサンゼルス南部のロングビーチに醸造設備を兼ね備えたブリューパブ「ビーチウッド バーベキュー&ブリューイング」をオープン。 元航空宇宙エンジニアであるジュリアンは、90年代半ばの大学時代から自家醸造を始めました。 2003年に南カリフォルニアに拠点を移すと、ジュリアンの自家醸造の趣味はすぐに生きがいへと変化。 カリフォルニア州内のプロのクラフトビールブリュワー達との友情を築きながら、シュラゴは自らのレシピを商業的に醸造し始めます。 これが彼のプロのブリュワーとしての最初の一歩でした。 彼らの造る高品質なIPAからブロンドエールまで、豊かな想像力により生み出されたビール達は瞬く間に評判を呼び、2014年に開催された全米最大のビール品評会"Great American Beer Festival"において中規模ブリューパブチャンピオンの栄誉に輝きました。 その2年後の2016年に開催されたビールのオリンピック"World Beer Cup"では、スピンオフしたサワービール専門のブリューパブ「ビーチウッド ブレンダリー」が大規模ブリューパブ部門のチャンピオンを獲得。 今日ではロサンゼルスを代表するブリュワリーの一つとして、その実力は誰もが認めるところです。 タップルーム...

ブリュワリー紹介『Beachwood / ビーチウッド』

Beachwood Brewing / ビーチウッドブリューイング 創業:2011年 拠点:カリフォルニア州 オレンジカウンティ 創業者のゲイブはその独特のスタイルや独創的な技術を駆使したユニークな組み合わせの料理を得意とするシェフ。 彼は、そのキャリアを通じて、サンタバーバラのフォーシーズンズリゾート、ブルーパームス、ミュージックボックスシアター、そしてサヴォーリーズなど、南カリフォルニアを代表する著名レストランで経験を積んでいました。 2006年に妻のレナ・ペレルマン(Lena Perelman)とカリフォルニア州オレンジカウンティ・シールビーチにバーベキュー料理を専門とするレストラン「ビーチウッド バーベキュー」をオープン。 ゲイブの料理への強い情熱やこれまでの著名レストランでの経験により、オープン直後からすぐに様々な賞を受賞し、世界クラスのクラフトビール店としての評判を獲得するようになりました。 その後、2011年夏に当時すでに名の知れたホームブリュワーであったジュリアン・シュラゴ(Julian Shrago)を醸造責任者に迎え、ロサンゼルス南部のロングビーチに醸造設備を兼ね備えたブリューパブ「ビーチウッド バーベキュー&ブリューイング」をオープン。 元航空宇宙エンジニアであるジュリアンは、90年代半ばの大学時代から自家醸造を始めました。 2003年に南カリフォルニアに拠点を移すと、ジュリアンの自家醸造の趣味はすぐに生きがいへと変化。 カリフォルニア州内のプロのクラフトビールブリュワー達との友情を築きながら、シュラゴは自らのレシピを商業的に醸造し始めます。 これが彼のプロのブリュワーとしての最初の一歩でした。 彼らの造る高品質なIPAからブロンドエールまで、豊かな想像力により生み出されたビール達は瞬く間に評判を呼び、2014年に開催された全米最大のビール品評会"Great American Beer Festival"において中規模ブリューパブチャンピオンの栄誉に輝きました。 その2年後の2016年に開催されたビールのオリンピック"World Beer Cup"では、スピンオフしたサワービール専門のブリューパブ「ビーチウッド ブレンダリー」が大規模ブリューパブ部門のチャンピオンを獲得。 今日ではロサンゼルスを代表するブリュワリーの一つとして、その実力は誰もが認めるところです。 タップルーム...

ブリュワリー紹介『Surly / サーリー』

Surly Brewing / サーリーブリューイング 創業:2005年 拠点:ミネソタ州 ミネアポリス 年間生産量:112,000バレル(約13,100キロリットル、2018年実績) ブルックリンセンターにある研磨剤工場の息子として生まれたオマールは2000年代初期に流行りを見せ始めていたビールの自家醸造の虜になったものの、当時のミネソタ州では質の高いクラフトビールになかなか巡り合うことができなかった。 オマールと創業時のヘッドブリュワーのトッドは、自分達が飲みたいビールを造りたいと強く想うようになり、ベッカ(オマールの妻)、ニック、ドリットを巻き込んで研磨剤工場の一部をブリュワリーに建て替えた。 こうして2005年12月30日についに「サーリー」は動き始めた。 すべての始まりとなった最初のビールはオートミールブラウンエールの「ベンダー」だった。 その後にホップを効かせた「フューリアス」をリリースし、ミネソタのクラフトビールコミュニティに大きな衝撃を与えた。 評判は瞬く間に広まり、すぐに様々なビールコンペで入賞するようになった。 しかし、研磨剤工場を流用して造った簡易的な醸造設備にはすぐに限界が訪れた。 オマールはヨーロッパやカリフォルニア州のブリュワリーを視察する中で、ビールだけではなく食事や居場所も提供できるコミュニティのような形に拡張させていくイメージを膨らませていった。 1920年~1933年の米国禁酒法時代に作られた、ブリュワリーが自社商品を敷地内で販売することを禁じるミネソタ州の法律に対してオマールは不満を持っていた。 ミネソタ州の議員達に対して熱心な働きかけを行った結果、2011年5月24日についに法改正に至り、ブリュワリーとタップルームの売り上げは一気に増加した。 これはミネソタ州内のビール会社に大きな影響を与える出来事となった。 2014年12月にブルックリンセンターのタップルームを閉め、ミネアポリスのプロスペクトパーク近辺にブリュワリーを移転した。4600平米にもなる広大な敷地内には醸造所やビアホール、事務所、ビアガーデン、イベントホール、ピザレストラン、野外コンサートホールまで兼ね備えている。 サーリーのヘッドブリュワーであるベン・スミスはそのあくなき探求心と熱意を忘れず、型にはまらないビールの醸造を信念としている。 ブリュワリーの拡張は続き、今では8つの州と1つの省に対しビールを供給。 定番ビールは8種類あり、限定やコラボビールは毎回新しい物を作るよう挑戦している。 タップルーム Minneapolis Brewery (ミネソタ州 ミネアポリス) 定番ビール Furious /...

ブリュワリー紹介『Surly / サーリー』

Surly Brewing / サーリーブリューイング 創業:2005年 拠点:ミネソタ州 ミネアポリス 年間生産量:112,000バレル(約13,100キロリットル、2018年実績) ブルックリンセンターにある研磨剤工場の息子として生まれたオマールは2000年代初期に流行りを見せ始めていたビールの自家醸造の虜になったものの、当時のミネソタ州では質の高いクラフトビールになかなか巡り合うことができなかった。 オマールと創業時のヘッドブリュワーのトッドは、自分達が飲みたいビールを造りたいと強く想うようになり、ベッカ(オマールの妻)、ニック、ドリットを巻き込んで研磨剤工場の一部をブリュワリーに建て替えた。 こうして2005年12月30日についに「サーリー」は動き始めた。 すべての始まりとなった最初のビールはオートミールブラウンエールの「ベンダー」だった。 その後にホップを効かせた「フューリアス」をリリースし、ミネソタのクラフトビールコミュニティに大きな衝撃を与えた。 評判は瞬く間に広まり、すぐに様々なビールコンペで入賞するようになった。 しかし、研磨剤工場を流用して造った簡易的な醸造設備にはすぐに限界が訪れた。 オマールはヨーロッパやカリフォルニア州のブリュワリーを視察する中で、ビールだけではなく食事や居場所も提供できるコミュニティのような形に拡張させていくイメージを膨らませていった。 1920年~1933年の米国禁酒法時代に作られた、ブリュワリーが自社商品を敷地内で販売することを禁じるミネソタ州の法律に対してオマールは不満を持っていた。 ミネソタ州の議員達に対して熱心な働きかけを行った結果、2011年5月24日についに法改正に至り、ブリュワリーとタップルームの売り上げは一気に増加した。 これはミネソタ州内のビール会社に大きな影響を与える出来事となった。 2014年12月にブルックリンセンターのタップルームを閉め、ミネアポリスのプロスペクトパーク近辺にブリュワリーを移転した。4600平米にもなる広大な敷地内には醸造所やビアホール、事務所、ビアガーデン、イベントホール、ピザレストラン、野外コンサートホールまで兼ね備えている。 サーリーのヘッドブリュワーであるベン・スミスはそのあくなき探求心と熱意を忘れず、型にはまらないビールの醸造を信念としている。 ブリュワリーの拡張は続き、今では8つの州と1つの省に対しビールを供給。 定番ビールは8種類あり、限定やコラボビールは毎回新しい物を作るよう挑戦している。 タップルーム Minneapolis Brewery (ミネソタ州 ミネアポリス) 定番ビール Furious /...

ブリュワリー紹介『Stone / ストーン』

Stone Brewing / ストーンブリューイング 創業:1996年 拠点:カリフォルニア州 エスコンディード 年間生産量:395,000バレル(約46,400キロリットル、2019年実績) 年間を通して温暖な気候、まぶしい太陽が象徴的なカリフォルニア州南部サンディエゴ。 現在はブリュワリーがひしめく地として、アメリカだけでなく世界各国からのビールファンが訪れるクラフトビール天国。 今や南カリフォルニアを代表する人気ブリュワリー「ストーンブリューイング」の創業者は、ビールとロック音楽を愛する2人。 物静かなホームブリュワーのスティーブ・ワグナー(Steve Wagner)と社交的ビジネスマンのグレッグ・コック(Greg Koch)。 まだ「クラフトビール」ではなく「マイクロブリュワリー」と言われていた当時、外見も性格も違うこの2人の意気投合により、サンディエゴの中心地サンマルコスの小さなスペースから「ロック音楽のように世間に迎合しない」ブリュワリー「ストーンブリューイング」が1996年に誕生した。 醸造担当スティーブによる卓越した技術力から生み出される攻撃的なほど独創的なビールは、営業企画担当グレッグが繰り出すビール業界の常識を超えるブランド戦略に乗り瞬く間に話題を集めていく。 そして、創業1周年記念として1997年に発表されたアニバーサリービールが世間に旋風を巻き起こす。 それこそが、今なお人々を虜にするIPAのお手本ともいうべきビール、ストーンIPAである。 スティーブが初めてストーンIPAを醸造した時、英国の由緒正しいペールエールというスタイルにホップを大量投入した実験的なスタイルのビールが、ここまでの熱狂的人気を獲得することを彼はまだ知る由もなかった。 今でこそ「IPA」のアルファベット3文字はビールファンの間で認知されているが、ストーンIPAがクラフトビールシーンに登場した1997年当時はIPAの文字に対して疑問符を浮かべる人々がほとんどだった。 知名度もなく、飲んだ人々に不快な味わいと受け取られていた苦みを持つこのビールが、時を経た現在では人々が飛び付くビールとなり、冷蔵庫に常備されるビールとなったのだ。 スティーブがストーンの礎となるビールを生み出した父のような存在であるように、ストーンIPAはその後のストーンで醸造される「ホップを前面に押し出したビール」をインスパイアし続けてきた母のような存在だ。 ストーンIPAがなければ、ルイネーションIPAも、フレッシュなビールを楽しむというムーブメントの先駆けとなったエンジョイバイIPAも決して生まれることはなかっただろう。 ストーンIPAとは数多くのホッピーなビールを世に送り出してきた歴史的なビールなのである。 「マーケットの好みに追従せず自分の飲みたいビールを醸造する」という姿勢のストーン。 強烈な苦みを持つビール、攻撃的なほどのモルトボディーを持つビールなど、決して万人に受け入れられるとは言えない作品を生み出してきた。 このポリシーは音楽に影響を受けたとグレッグは語る。 「ある音楽雑誌の表紙にMetallica(1981年から活動するヘヴィメタルバンド)が載っていて、次のようなキャッチコピーが書かれていたんだ。 "MetallicaがNo.1に上りつめたのではない。No.1がMetallicaのほうへやってきたのだ"とね。このフレーズにとてつもない衝撃を受けたのさ。」 決して妥協せず、自らの音楽性を貫くかのようなアグレッシブなビールを造り続けた結果、「ストーンの飲みたいビール」に熱狂的なファンがやってくるようになったのである。...

ブリュワリー紹介『Stone / ストーン』

Stone Brewing / ストーンブリューイング 創業:1996年 拠点:カリフォルニア州 エスコンディード 年間生産量:395,000バレル(約46,400キロリットル、2019年実績) 年間を通して温暖な気候、まぶしい太陽が象徴的なカリフォルニア州南部サンディエゴ。 現在はブリュワリーがひしめく地として、アメリカだけでなく世界各国からのビールファンが訪れるクラフトビール天国。 今や南カリフォルニアを代表する人気ブリュワリー「ストーンブリューイング」の創業者は、ビールとロック音楽を愛する2人。 物静かなホームブリュワーのスティーブ・ワグナー(Steve Wagner)と社交的ビジネスマンのグレッグ・コック(Greg Koch)。 まだ「クラフトビール」ではなく「マイクロブリュワリー」と言われていた当時、外見も性格も違うこの2人の意気投合により、サンディエゴの中心地サンマルコスの小さなスペースから「ロック音楽のように世間に迎合しない」ブリュワリー「ストーンブリューイング」が1996年に誕生した。 醸造担当スティーブによる卓越した技術力から生み出される攻撃的なほど独創的なビールは、営業企画担当グレッグが繰り出すビール業界の常識を超えるブランド戦略に乗り瞬く間に話題を集めていく。 そして、創業1周年記念として1997年に発表されたアニバーサリービールが世間に旋風を巻き起こす。 それこそが、今なお人々を虜にするIPAのお手本ともいうべきビール、ストーンIPAである。 スティーブが初めてストーンIPAを醸造した時、英国の由緒正しいペールエールというスタイルにホップを大量投入した実験的なスタイルのビールが、ここまでの熱狂的人気を獲得することを彼はまだ知る由もなかった。 今でこそ「IPA」のアルファベット3文字はビールファンの間で認知されているが、ストーンIPAがクラフトビールシーンに登場した1997年当時はIPAの文字に対して疑問符を浮かべる人々がほとんどだった。 知名度もなく、飲んだ人々に不快な味わいと受け取られていた苦みを持つこのビールが、時を経た現在では人々が飛び付くビールとなり、冷蔵庫に常備されるビールとなったのだ。 スティーブがストーンの礎となるビールを生み出した父のような存在であるように、ストーンIPAはその後のストーンで醸造される「ホップを前面に押し出したビール」をインスパイアし続けてきた母のような存在だ。 ストーンIPAがなければ、ルイネーションIPAも、フレッシュなビールを楽しむというムーブメントの先駆けとなったエンジョイバイIPAも決して生まれることはなかっただろう。 ストーンIPAとは数多くのホッピーなビールを世に送り出してきた歴史的なビールなのである。 「マーケットの好みに追従せず自分の飲みたいビールを醸造する」という姿勢のストーン。 強烈な苦みを持つビール、攻撃的なほどのモルトボディーを持つビールなど、決して万人に受け入れられるとは言えない作品を生み出してきた。 このポリシーは音楽に影響を受けたとグレッグは語る。 「ある音楽雑誌の表紙にMetallica(1981年から活動するヘヴィメタルバンド)が載っていて、次のようなキャッチコピーが書かれていたんだ。 "MetallicaがNo.1に上りつめたのではない。No.1がMetallicaのほうへやってきたのだ"とね。このフレーズにとてつもない衝撃を受けたのさ。」 決して妥協せず、自らの音楽性を貫くかのようなアグレッシブなビールを造り続けた結果、「ストーンの飲みたいビール」に熱狂的なファンがやってくるようになったのである。...

ブリュワリー紹介『Sierra Nevada / シエラネバダ』

Sierra Nevada Brewing Co. / シエラネバダブリューイング 創業:1980年 拠点:カリフォルニア州 チコ 年間生産量:1,054,000バレル(約123,700キロリットル、2019年実績) 1979年、北カリフォルニア・サンフランシスコから北東に約220km、シエラネバダ山脈の麓にひっそりとたたずむ学園都市チコ(Chico)でケン・グロスマンは小さなブリュワリー作りを始めた。 目標は素晴らしい味わいのエールやラガーを醸造すること。 今日、シエラネバダはアメリカのクラフトブリュワリーの筆頭である。 批評家は、彼らの造るビールを「世界中のあらゆるビールと比べても最高品質の部類に入る」と絶賛する。 草創期 彼がビールに対する情熱を持つきっかけとなったのは、1970年代前半、友人の父親に自家醸造の基礎を教えてもらったことだった。 お手製の機材を使って5ガロン(約19L)分のビールを自分で醸造し始め、すぐに自家醸造の熟練者となった。 そして、チコにあるビュートコミュニティーカレッジで化学を、カリフォルニア州立大学で物理学を専攻したのち、1976年に"The Home Brew Shop"という自分の店をチコの街のダウンタウンにオープンした。 そこではチコにいる自家醸造家たちに機材、材料やアドバイスを提供した。 しかしながら、彼が夢見ていたのは自分自身のブリュワリーを開くことであった。 2年後の1978年、彼は酪農用タンクやソフトドリンクの瓶詰め設備、廃業したブリュワリーの機材をかき集めてブリュワリーを組み立てたのである。 設備は中古品ながら、一級品のマイクロブリュワリーであった。 原料は最高品質のものが使われ、それは後にブリュワリーのトレードマークとなる大量のホップに関しても例外ではなかった。 熱心なバックパッカーでもあった彼は、新しい会社を自分の好きなハイキングスポットであったシエラネバダ山脈にちなんでシエラネバダと名付けた。 伝説の始まり ロナルド・レーガンが大統領に就任した年である1980年。 10度に渡ってビールを廃棄するという試行錯誤を経て、11月15日、シエラネバダは、アメリカンクラフトビール史上に残るビールを醸造した。...

ブリュワリー紹介『Sierra Nevada / シエラネバダ』

Sierra Nevada Brewing Co. / シエラネバダブリューイング 創業:1980年 拠点:カリフォルニア州 チコ 年間生産量:1,054,000バレル(約123,700キロリットル、2019年実績) 1979年、北カリフォルニア・サンフランシスコから北東に約220km、シエラネバダ山脈の麓にひっそりとたたずむ学園都市チコ(Chico)でケン・グロスマンは小さなブリュワリー作りを始めた。 目標は素晴らしい味わいのエールやラガーを醸造すること。 今日、シエラネバダはアメリカのクラフトブリュワリーの筆頭である。 批評家は、彼らの造るビールを「世界中のあらゆるビールと比べても最高品質の部類に入る」と絶賛する。 草創期 彼がビールに対する情熱を持つきっかけとなったのは、1970年代前半、友人の父親に自家醸造の基礎を教えてもらったことだった。 お手製の機材を使って5ガロン(約19L)分のビールを自分で醸造し始め、すぐに自家醸造の熟練者となった。 そして、チコにあるビュートコミュニティーカレッジで化学を、カリフォルニア州立大学で物理学を専攻したのち、1976年に"The Home Brew Shop"という自分の店をチコの街のダウンタウンにオープンした。 そこではチコにいる自家醸造家たちに機材、材料やアドバイスを提供した。 しかしながら、彼が夢見ていたのは自分自身のブリュワリーを開くことであった。 2年後の1978年、彼は酪農用タンクやソフトドリンクの瓶詰め設備、廃業したブリュワリーの機材をかき集めてブリュワリーを組み立てたのである。 設備は中古品ながら、一級品のマイクロブリュワリーであった。 原料は最高品質のものが使われ、それは後にブリュワリーのトレードマークとなる大量のホップに関しても例外ではなかった。 熱心なバックパッカーでもあった彼は、新しい会社を自分の好きなハイキングスポットであったシエラネバダ山脈にちなんでシエラネバダと名付けた。 伝説の始まり ロナルド・レーガンが大統領に就任した年である1980年。 10度に渡ってビールを廃棄するという試行錯誤を経て、11月15日、シエラネバダは、アメリカンクラフトビール史上に残るビールを醸造した。...

ブリュワリー紹介『Firestone Walker / ファイアストーンウォーカー』

Firestone Walker Brewing Co. / ファイアストーンウォーカー ブリューイング 創業:1996年 拠点:カリフォルニア州 パソロブレス 年間生産量:525,294バレル(約61,600キロリットル、2019年実績) ぶどう園の片隅から アメリカ西海岸、カリフォルニア州セントラルコースト。 サンフランシスコから南に車で約3時間半、アメリカ西海岸を南北に結ぶ国道101号線、その途中、数多くのワイナリーがひしめくパソロブレスにファイアストーンウォーカーブリューイングはある。 セントラルコースト地域のサンタ・イネス・バレーに生まれ、ワイン農家だったファイアストーン家で育ったアメリカ人のアダム・ファイアストーン、彼の義理の兄弟でイギリス出身のデビッド・ウォーカー。 まったく異なったルーツを持つ二人がサンタバーバラのワイン畑の隅で始めた小さなブリュワリーは、その後設立からわずか20年足らずのうちにGreat American Beer Festival、World Beer Cupで共に4度のブリュワリーチャンピオンの栄冠を手にし、全米最高峰の評価と名声を得る人気ブリュワリーへとその階段を駆け上ることとなる。 なお、ロゴとなっている"Lion & Bear"は、イングランドを象徴するライオンとカリフォルニア州旗のクマ、それぞれが対峙するブリュワリーロゴは創業者の二人にちなんでおり、新世界と旧世界のマッシュアップをも体現している。 "エリア51"にて 1990年代初頭、それまで人生のほとんどをワインと共に過ごしてきたファイアストーンはビール造りを始めたいと考えるようになっていた。 彼は義理の兄弟のウォーカーに掛け合い、共にブリュワリーを始めることにした。 その当時のことを後にウォーカーはこう語っている。 「俺たちがブリュワリーを始めたきっかけは、単純にブリュワリーを始めるのが面白そうだったからさ。たとえば魚釣りに行きたいからボートを買おうぜ、みたいな軽い気持ちだったよ」 時の大統領ビル・クリントンが再選を果たした1996年、ファイアストーンウォーカーは誕生した。...

ブリュワリー紹介『Firestone Walker / ファイアストーンウォーカー』

Firestone Walker Brewing Co. / ファイアストーンウォーカー ブリューイング 創業:1996年 拠点:カリフォルニア州 パソロブレス 年間生産量:525,294バレル(約61,600キロリットル、2019年実績) ぶどう園の片隅から アメリカ西海岸、カリフォルニア州セントラルコースト。 サンフランシスコから南に車で約3時間半、アメリカ西海岸を南北に結ぶ国道101号線、その途中、数多くのワイナリーがひしめくパソロブレスにファイアストーンウォーカーブリューイングはある。 セントラルコースト地域のサンタ・イネス・バレーに生まれ、ワイン農家だったファイアストーン家で育ったアメリカ人のアダム・ファイアストーン、彼の義理の兄弟でイギリス出身のデビッド・ウォーカー。 まったく異なったルーツを持つ二人がサンタバーバラのワイン畑の隅で始めた小さなブリュワリーは、その後設立からわずか20年足らずのうちにGreat American Beer Festival、World Beer Cupで共に4度のブリュワリーチャンピオンの栄冠を手にし、全米最高峰の評価と名声を得る人気ブリュワリーへとその階段を駆け上ることとなる。 なお、ロゴとなっている"Lion & Bear"は、イングランドを象徴するライオンとカリフォルニア州旗のクマ、それぞれが対峙するブリュワリーロゴは創業者の二人にちなんでおり、新世界と旧世界のマッシュアップをも体現している。 "エリア51"にて 1990年代初頭、それまで人生のほとんどをワインと共に過ごしてきたファイアストーンはビール造りを始めたいと考えるようになっていた。 彼は義理の兄弟のウォーカーに掛け合い、共にブリュワリーを始めることにした。 その当時のことを後にウォーカーはこう語っている。 「俺たちがブリュワリーを始めたきっかけは、単純にブリュワリーを始めるのが面白そうだったからさ。たとえば魚釣りに行きたいからボートを買おうぜ、みたいな軽い気持ちだったよ」 時の大統領ビル・クリントンが再選を果たした1996年、ファイアストーンウォーカーは誕生した。...

ブリュワリー紹介『Lagunitas / ラグニタス』

Lagunitas Brewing Company / ラグニタスブリューイング 創業:1993年 拠点:カリフォルニア州 ペタルーマ 年間生産量:1,072,500バレル(約125,900キロリットル、2019年実績) 夜明け前 1992年、シカゴ出身のトニー・マギー(Tony Magee)は地元の自家醸造ショップで買ってきた5ガロン(約18.9L)の醸造キットを使いビールを造っていました。 彼が初めて造ったビールは"California Common Beer"というお手軽レシピキットを用いたものでしたが、その出来は惨憺たるものでした。 そこでもう一度挑戦することにし、今度は"California Pale Ale"のお手軽レシピキットを使ってみたところ、理由はまったく分かりませんが今度はとても美味しいビールができあがりました。 その瞬間、ミュージシャンでもあった彼はこう考えました。 「楽器と同じように、ビール造りも練習をすれば上達できるじゃないか」 と。 創業の地ラグニタス 1993年1月、カリフォルニア州ラグニタス(Lagunitas)。 北カリフォルニアの中心地サンフランシスコから北北西に約36kmの場所にあるこの小さな街で、小さなブリュワリーが産声を上げました。 その名もLagunitas Brewing Company。 トニーと彼の妻カリッサ(Carissa)は、夫妻が暮らしていたその地でわずか20年余りで全米第6位の規模に成長することとなるそのブリュワリーを立ち上げました。 最初は自宅のキッチンで醸造をしていましたが、その後すぐに約1.5km離れた隣町のフォレストノールズ(Forest Knolls)に約70㎡の商業用スペースに移転しました。...

ブリュワリー紹介『Lagunitas / ラグニタス』

Lagunitas Brewing Company / ラグニタスブリューイング 創業:1993年 拠点:カリフォルニア州 ペタルーマ 年間生産量:1,072,500バレル(約125,900キロリットル、2019年実績) 夜明け前 1992年、シカゴ出身のトニー・マギー(Tony Magee)は地元の自家醸造ショップで買ってきた5ガロン(約18.9L)の醸造キットを使いビールを造っていました。 彼が初めて造ったビールは"California Common Beer"というお手軽レシピキットを用いたものでしたが、その出来は惨憺たるものでした。 そこでもう一度挑戦することにし、今度は"California Pale Ale"のお手軽レシピキットを使ってみたところ、理由はまったく分かりませんが今度はとても美味しいビールができあがりました。 その瞬間、ミュージシャンでもあった彼はこう考えました。 「楽器と同じように、ビール造りも練習をすれば上達できるじゃないか」 と。 創業の地ラグニタス 1993年1月、カリフォルニア州ラグニタス(Lagunitas)。 北カリフォルニアの中心地サンフランシスコから北北西に約36kmの場所にあるこの小さな街で、小さなブリュワリーが産声を上げました。 その名もLagunitas Brewing Company。 トニーと彼の妻カリッサ(Carissa)は、夫妻が暮らしていたその地でわずか20年余りで全米第6位の規模に成長することとなるそのブリュワリーを立ち上げました。 最初は自宅のキッチンで醸造をしていましたが、その後すぐに約1.5km離れた隣町のフォレストノールズ(Forest Knolls)に約70㎡の商業用スペースに移転しました。...