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ブリュワリー紹介『Sierra Nevada / シエラネバダ』

Sierra Nevada Brewing Co. / シエラネバダブリューイング 創業:1980年 拠点:カリフォルニア州 チコ 年間生産量:1,054,000バレル(約123,700キロリットル、2019年実績) 1979年、北カリフォルニア・サンフランシスコから北東に約220km、シエラネバダ山脈の麓にひっそりとたたずむ学園都市チコ(Chico)でケン・グロスマンは小さなブリュワリー作りを始めた。 目標は素晴らしい味わいのエールやラガーを醸造すること。 今日、シエラネバダはアメリカのクラフトブリュワリーの筆頭である。 批評家は、彼らの造るビールを「世界中のあらゆるビールと比べても最高品質の部類に入る」と絶賛する。 草創期 彼がビールに対する情熱を持つきっかけとなったのは、1970年代前半、友人の父親に自家醸造の基礎を教えてもらったことだった。 お手製の機材を使って5ガロン(約19L)分のビールを自分で醸造し始め、すぐに自家醸造の熟練者となった。 そして、チコにあるビュートコミュニティーカレッジで化学を、カリフォルニア州立大学で物理学を専攻したのち、1976年に"The Home Brew Shop"という自分の店をチコの街のダウンタウンにオープンした。 そこではチコにいる自家醸造家たちに機材、材料やアドバイスを提供した。 しかしながら、彼が夢見ていたのは自分自身のブリュワリーを開くことであった。 2年後の1978年、彼は酪農用タンクやソフトドリンクの瓶詰め設備、廃業したブリュワリーの機材をかき集めてブリュワリーを組み立てたのである。 設備は中古品ながら、一級品のマイクロブリュワリーであった。 原料は最高品質のものが使われ、それは後にブリュワリーのトレードマークとなる大量のホップに関しても例外ではなかった。 熱心なバックパッカーでもあった彼は、新しい会社を自分の好きなハイキングスポットであったシエラネバダ山脈にちなんでシエラネバダと名付けた。 伝説の始まり ロナルド・レーガンが大統領に就任した年である1980年。 10度に渡ってビールを廃棄するという試行錯誤を経て、11月15日、シエラネバダは、アメリカンクラフトビール史上に残るビールを醸造した。...

ブリュワリー紹介『Sierra Nevada / シエラネバダ』

Sierra Nevada Brewing Co. / シエラネバダブリューイング 創業:1980年 拠点:カリフォルニア州 チコ 年間生産量:1,054,000バレル(約123,700キロリットル、2019年実績) 1979年、北カリフォルニア・サンフランシスコから北東に約220km、シエラネバダ山脈の麓にひっそりとたたずむ学園都市チコ(Chico)でケン・グロスマンは小さなブリュワリー作りを始めた。 目標は素晴らしい味わいのエールやラガーを醸造すること。 今日、シエラネバダはアメリカのクラフトブリュワリーの筆頭である。 批評家は、彼らの造るビールを「世界中のあらゆるビールと比べても最高品質の部類に入る」と絶賛する。 草創期 彼がビールに対する情熱を持つきっかけとなったのは、1970年代前半、友人の父親に自家醸造の基礎を教えてもらったことだった。 お手製の機材を使って5ガロン(約19L)分のビールを自分で醸造し始め、すぐに自家醸造の熟練者となった。 そして、チコにあるビュートコミュニティーカレッジで化学を、カリフォルニア州立大学で物理学を専攻したのち、1976年に"The Home Brew Shop"という自分の店をチコの街のダウンタウンにオープンした。 そこではチコにいる自家醸造家たちに機材、材料やアドバイスを提供した。 しかしながら、彼が夢見ていたのは自分自身のブリュワリーを開くことであった。 2年後の1978年、彼は酪農用タンクやソフトドリンクの瓶詰め設備、廃業したブリュワリーの機材をかき集めてブリュワリーを組み立てたのである。 設備は中古品ながら、一級品のマイクロブリュワリーであった。 原料は最高品質のものが使われ、それは後にブリュワリーのトレードマークとなる大量のホップに関しても例外ではなかった。 熱心なバックパッカーでもあった彼は、新しい会社を自分の好きなハイキングスポットであったシエラネバダ山脈にちなんでシエラネバダと名付けた。 伝説の始まり ロナルド・レーガンが大統領に就任した年である1980年。 10度に渡ってビールを廃棄するという試行錯誤を経て、11月15日、シエラネバダは、アメリカンクラフトビール史上に残るビールを醸造した。...

ブリュワリー紹介『Firestone Walker / ファイアストーンウォーカー』

Firestone Walker Brewing Co. / ファイアストーンウォーカー ブリューイング 創業:1996年 拠点:カリフォルニア州 パソロブレス 年間生産量:525,294バレル(約61,600キロリットル、2019年実績) ぶどう園の片隅から アメリカ西海岸、カリフォルニア州セントラルコースト。 サンフランシスコから南に車で約3時間半、アメリカ西海岸を南北に結ぶ国道101号線、その途中、数多くのワイナリーがひしめくパソロブレスにファイアストーンウォーカーブリューイングはある。 セントラルコースト地域のサンタ・イネス・バレーに生まれ、ワイン農家だったファイアストーン家で育ったアメリカ人のアダム・ファイアストーン、彼の義理の兄弟でイギリス出身のデビッド・ウォーカー。 まったく異なったルーツを持つ二人がサンタバーバラのワイン畑の隅で始めた小さなブリュワリーは、その後設立からわずか20年足らずのうちにGreat American Beer Festival、World Beer Cupで共に4度のブリュワリーチャンピオンの栄冠を手にし、全米最高峰の評価と名声を得る人気ブリュワリーへとその階段を駆け上ることとなる。 なお、ロゴとなっている"Lion & Bear"は、イングランドを象徴するライオンとカリフォルニア州旗のクマ、それぞれが対峙するブリュワリーロゴは創業者の二人にちなんでおり、新世界と旧世界のマッシュアップをも体現している。 "エリア51"にて 1990年代初頭、それまで人生のほとんどをワインと共に過ごしてきたファイアストーンはビール造りを始めたいと考えるようになっていた。 彼は義理の兄弟のウォーカーに掛け合い、共にブリュワリーを始めることにした。 その当時のことを後にウォーカーはこう語っている。 「俺たちがブリュワリーを始めたきっかけは、単純にブリュワリーを始めるのが面白そうだったからさ。たとえば魚釣りに行きたいからボートを買おうぜ、みたいな軽い気持ちだったよ」 時の大統領ビル・クリントンが再選を果たした1996年、ファイアストーンウォーカーは誕生した。...

ブリュワリー紹介『Firestone Walker / ファイアストーンウォーカー』

Firestone Walker Brewing Co. / ファイアストーンウォーカー ブリューイング 創業:1996年 拠点:カリフォルニア州 パソロブレス 年間生産量:525,294バレル(約61,600キロリットル、2019年実績) ぶどう園の片隅から アメリカ西海岸、カリフォルニア州セントラルコースト。 サンフランシスコから南に車で約3時間半、アメリカ西海岸を南北に結ぶ国道101号線、その途中、数多くのワイナリーがひしめくパソロブレスにファイアストーンウォーカーブリューイングはある。 セントラルコースト地域のサンタ・イネス・バレーに生まれ、ワイン農家だったファイアストーン家で育ったアメリカ人のアダム・ファイアストーン、彼の義理の兄弟でイギリス出身のデビッド・ウォーカー。 まったく異なったルーツを持つ二人がサンタバーバラのワイン畑の隅で始めた小さなブリュワリーは、その後設立からわずか20年足らずのうちにGreat American Beer Festival、World Beer Cupで共に4度のブリュワリーチャンピオンの栄冠を手にし、全米最高峰の評価と名声を得る人気ブリュワリーへとその階段を駆け上ることとなる。 なお、ロゴとなっている"Lion & Bear"は、イングランドを象徴するライオンとカリフォルニア州旗のクマ、それぞれが対峙するブリュワリーロゴは創業者の二人にちなんでおり、新世界と旧世界のマッシュアップをも体現している。 "エリア51"にて 1990年代初頭、それまで人生のほとんどをワインと共に過ごしてきたファイアストーンはビール造りを始めたいと考えるようになっていた。 彼は義理の兄弟のウォーカーに掛け合い、共にブリュワリーを始めることにした。 その当時のことを後にウォーカーはこう語っている。 「俺たちがブリュワリーを始めたきっかけは、単純にブリュワリーを始めるのが面白そうだったからさ。たとえば魚釣りに行きたいからボートを買おうぜ、みたいな軽い気持ちだったよ」 時の大統領ビル・クリントンが再選を果たした1996年、ファイアストーンウォーカーは誕生した。...

ブリュワリー紹介『Lagunitas / ラグニタス』

Lagunitas Brewing Company / ラグニタスブリューイング 創業:1993年 拠点:カリフォルニア州 ペタルーマ 年間生産量:1,072,500バレル(約125,900キロリットル、2019年実績) 夜明け前 1992年、シカゴ出身のトニー・マギー(Tony Magee)は地元の自家醸造ショップで買ってきた5ガロン(約18.9L)の醸造キットを使いビールを造っていました。 彼が初めて造ったビールは"California Common Beer"というお手軽レシピキットを用いたものでしたが、その出来は惨憺たるものでした。 そこでもう一度挑戦することにし、今度は"California Pale Ale"のお手軽レシピキットを使ってみたところ、理由はまったく分かりませんが今度はとても美味しいビールができあがりました。 その瞬間、ミュージシャンでもあった彼はこう考えました。 「楽器と同じように、ビール造りも練習をすれば上達できるじゃないか」 と。 創業の地ラグニタス 1993年1月、カリフォルニア州ラグニタス(Lagunitas)。 北カリフォルニアの中心地サンフランシスコから北北西に約36kmの場所にあるこの小さな街で、小さなブリュワリーが産声を上げました。 その名もLagunitas Brewing Company。 トニーと彼の妻カリッサ(Carissa)は、夫妻が暮らしていたその地でわずか20年余りで全米第6位の規模に成長することとなるそのブリュワリーを立ち上げました。 最初は自宅のキッチンで醸造をしていましたが、その後すぐに約1.5km離れた隣町のフォレストノールズ(Forest Knolls)に約70㎡の商業用スペースに移転しました。...

ブリュワリー紹介『Lagunitas / ラグニタス』

Lagunitas Brewing Company / ラグニタスブリューイング 創業:1993年 拠点:カリフォルニア州 ペタルーマ 年間生産量:1,072,500バレル(約125,900キロリットル、2019年実績) 夜明け前 1992年、シカゴ出身のトニー・マギー(Tony Magee)は地元の自家醸造ショップで買ってきた5ガロン(約18.9L)の醸造キットを使いビールを造っていました。 彼が初めて造ったビールは"California Common Beer"というお手軽レシピキットを用いたものでしたが、その出来は惨憺たるものでした。 そこでもう一度挑戦することにし、今度は"California Pale Ale"のお手軽レシピキットを使ってみたところ、理由はまったく分かりませんが今度はとても美味しいビールができあがりました。 その瞬間、ミュージシャンでもあった彼はこう考えました。 「楽器と同じように、ビール造りも練習をすれば上達できるじゃないか」 と。 創業の地ラグニタス 1993年1月、カリフォルニア州ラグニタス(Lagunitas)。 北カリフォルニアの中心地サンフランシスコから北北西に約36kmの場所にあるこの小さな街で、小さなブリュワリーが産声を上げました。 その名もLagunitas Brewing Company。 トニーと彼の妻カリッサ(Carissa)は、夫妻が暮らしていたその地でわずか20年余りで全米第6位の規模に成長することとなるそのブリュワリーを立ち上げました。 最初は自宅のキッチンで醸造をしていましたが、その後すぐに約1.5km離れた隣町のフォレストノールズ(Forest Knolls)に約70㎡の商業用スペースに移転しました。...

ブリュワリー紹介『Maui / マウイ』

Maui Brewing Co. / マウイブリューイング 創業:2005年 拠点:ハワイ州 キヘイ 年間生産量:57,000バレル(約6,700キロリットル、2019年実績) ギャレット・マレロー(Garrett W. Marrero)とメラニー・オクスレイ(Melanie Oxley)の2人の共同創業者によって2005年に誕生しました。 ギャレットはもともとカリフォルニア州サンディエゴの出身のサーファー。クラフトビールの聖地サンディエゴで育ったギャレットは、観光で訪れたハワイ・マウイ島で「ハワイで造られるハワイのためのクラフトビールがないなら自分が造る!」とサンディエゴからハワイに移住し、西海岸スタイルのクラフトビールを造り始めました。 マウイブリューイングのビールが日本に初めて登場したのは創業間もない2006年。 当時はハワイ外への流通を行っていなかったため、マウイのビールが海を渡ったのは実はアメリカ本土よりも日本が先でした。 「クラフト」へ身を捧げることで、ビール業界ならびに飲食業界のあらゆる側面で人々の役に立ちたいと考えるマウイ。 そんな彼らのビール造りのモットーは"Handcrafted Ales & Lagers Brewed with Aloha (アロハの精神がこもった手づくりのエールとラガー)"。 コアラインナップの4種の中には、地元産のパイナップルやココナッツを使用したビールもあります。さらに、そのような副原料を使用していないビールについても、どこか常夏のハワイを感じさせる陽気な味わいを持たせています。 マウイブリューイングのビールの缶のデザインは、ポリネシア出身でサンフランシスコのベイエリアを中心に活動しているタトゥーアーティストのオーリーさんによるもの。 よく見てみると、「Bikini Blonde=ビキニ姿のブロンド女性」や「Big Swell=大きな波」など、ビールの名前に関連したデザインが描かれています。...

ブリュワリー紹介『Maui / マウイ』

Maui Brewing Co. / マウイブリューイング 創業:2005年 拠点:ハワイ州 キヘイ 年間生産量:57,000バレル(約6,700キロリットル、2019年実績) ギャレット・マレロー(Garrett W. Marrero)とメラニー・オクスレイ(Melanie Oxley)の2人の共同創業者によって2005年に誕生しました。 ギャレットはもともとカリフォルニア州サンディエゴの出身のサーファー。クラフトビールの聖地サンディエゴで育ったギャレットは、観光で訪れたハワイ・マウイ島で「ハワイで造られるハワイのためのクラフトビールがないなら自分が造る!」とサンディエゴからハワイに移住し、西海岸スタイルのクラフトビールを造り始めました。 マウイブリューイングのビールが日本に初めて登場したのは創業間もない2006年。 当時はハワイ外への流通を行っていなかったため、マウイのビールが海を渡ったのは実はアメリカ本土よりも日本が先でした。 「クラフト」へ身を捧げることで、ビール業界ならびに飲食業界のあらゆる側面で人々の役に立ちたいと考えるマウイ。 そんな彼らのビール造りのモットーは"Handcrafted Ales & Lagers Brewed with Aloha (アロハの精神がこもった手づくりのエールとラガー)"。 コアラインナップの4種の中には、地元産のパイナップルやココナッツを使用したビールもあります。さらに、そのような副原料を使用していないビールについても、どこか常夏のハワイを感じさせる陽気な味わいを持たせています。 マウイブリューイングのビールの缶のデザインは、ポリネシア出身でサンフランシスコのベイエリアを中心に活動しているタトゥーアーティストのオーリーさんによるもの。 よく見てみると、「Bikini Blonde=ビキニ姿のブロンド女性」や「Big Swell=大きな波」など、ビールの名前に関連したデザインが描かれています。...

ブリュワリー紹介『Fair State / フェアステイト』

Fair State Brewing Cooperative / フェアステイト ブリューイング 創業:2014年 拠点:ミネソタ州 ミネアポリス  創業者エヴァン・サリー(Evan Sallee)、ニコ・トンクス(Niko Tonks)、マシュー・ホーク(Matthew Hauck)の3人は大学時代はラグビーのライバル同士でしたが、いつしかビール造りを共に楽しむ友人同士となりました。  彼らは長年ブリュワリーをオープンさせることを夢見ていましたが、2011年5月までミネソタ州ではビールを造ってその場で販売することが法律的に許されていませんでした。  しかし、その法律は2014年に覆されることとなり、そのタイミングで"Fair State Brewing Cooperative"が誕生しました。  フェアステイトのビールはドイツのドリンキングスタイルに深い敬意を払った、「セッションスタイル」のビールを基本としています。  彼らの考えるセッションスタイルとは、深みがありしっかりとしたロシアンインペリアルスタウトなどのビールと比べると、一度に多くの量が軽く飲めるビール、というもの。  ビールを飲みながらも食事が楽しめたり、トレッキングなどのアクティビティを楽しむ余裕を持つことができる、ちょうどいいアルコール度数のビール造りを心がけているブリュワリーです。 フェアステイトからのメッセージ 我々がブリュワリーを始めた理由はいたってシンプル。 それは、良いビールが大好きだから。 そしてCooperative(協同組合)にしたのは、人々が集まると驚くような素晴らしいことが起こると信じているから。 様々なストーリーを語り合い、新しいアイディアを出し合う。 そうすることで世界が少しずつ違って見えてくる。 我々は、ブリュワーとコミュニティとの自然な繋がりがすべての人々の心に通じるものをつくることを追い求め続ける。  フェアステイトは、永遠に続くコミュニティと良品質のビールを造り続けるブリュワリーです。...

ブリュワリー紹介『Fair State / フェアステイト』

Fair State Brewing Cooperative / フェアステイト ブリューイング 創業:2014年 拠点:ミネソタ州 ミネアポリス  創業者エヴァン・サリー(Evan Sallee)、ニコ・トンクス(Niko Tonks)、マシュー・ホーク(Matthew Hauck)の3人は大学時代はラグビーのライバル同士でしたが、いつしかビール造りを共に楽しむ友人同士となりました。  彼らは長年ブリュワリーをオープンさせることを夢見ていましたが、2011年5月までミネソタ州ではビールを造ってその場で販売することが法律的に許されていませんでした。  しかし、その法律は2014年に覆されることとなり、そのタイミングで"Fair State Brewing Cooperative"が誕生しました。  フェアステイトのビールはドイツのドリンキングスタイルに深い敬意を払った、「セッションスタイル」のビールを基本としています。  彼らの考えるセッションスタイルとは、深みがありしっかりとしたロシアンインペリアルスタウトなどのビールと比べると、一度に多くの量が軽く飲めるビール、というもの。  ビールを飲みながらも食事が楽しめたり、トレッキングなどのアクティビティを楽しむ余裕を持つことができる、ちょうどいいアルコール度数のビール造りを心がけているブリュワリーです。 フェアステイトからのメッセージ 我々がブリュワリーを始めた理由はいたってシンプル。 それは、良いビールが大好きだから。 そしてCooperative(協同組合)にしたのは、人々が集まると驚くような素晴らしいことが起こると信じているから。 様々なストーリーを語り合い、新しいアイディアを出し合う。 そうすることで世界が少しずつ違って見えてくる。 我々は、ブリュワーとコミュニティとの自然な繋がりがすべての人々の心に通じるものをつくることを追い求め続ける。  フェアステイトは、永遠に続くコミュニティと良品質のビールを造り続けるブリュワリーです。...

ブリュワリー紹介『Founders / ファウンダーズ』

Founders Brewing / ファウンダーズ ブリューイング 創業:1997年 拠点:ミシガン州 グランラピッズ 年間生産量:578,400バレル(約67,900キロリットル、2019年実績) 2人のホームブリュワー マイク・スティーブンス(Mike Stevens)とデイブ・エンバース(Dave Engbers)。 大学で出会い友人となったこの2人には、「大のビール好きで熱心なホームブリュワー」という共通項がありました。 マイクをビールの魅力に気づかせたのはシエラネバダ ペールエール。「クラフトビール草創期に西海岸へ旅行に行く機会があって、Red HookやSierra Nevadaのビールを沢山飲んだよ。もともと自分で色々やるのが好きだったから、これは自分でもビールを造れるんじゃないかと考え始めたのがきっかけとなったのさ。」とマイクは語ります。 「ミシガン州のロックフォードという場所にホームブリューショップがあったから機材を一式そろえて、Charlie Papazianの本を隅々まで読みながら自分でビール造りを行った。そうしてビールにのめり込んでいったんだ。」 一方、デイブはホームブリュワーの兄から影響を受けてビール造りを始めました。ビールだけでなくワインやミードまで醸造していた兄。彼の造る酒を飲んで、自分自身でも機材を揃えて始めてみようという気持ちになり、デイブのビール人生が始まりました。 この共通の趣味で意気投合した彼ら2人は大学時代、「自分たちの愛することに人生を捧げたい」と常々考えていました。 「当時ミシガン州のカラマズーにブリュワリーがあったから、我々はグランドラピッズでブリュワリーを開こうと決めたんだ」とマイクは話します。 倒産の危機 しかし、愛することを行うからといって容易に事が進むとは限りません。 1994年から2、3年がかりで事業計画書を書き上げて、銀行に多大なローン融資を受けた後、1997年にオープンにこぎつけたファウンダーズでしたが、創業から最初の3年間は大変な苦労を伴いました。 1990年代半ばにクラフトビール業界で人気であったペールエール、アンバーエール、ウィートエール、ポーターの4種をラインナップとしていましたが、売上は散々な結果でした。 2000年には税金の支払いは滞り、銀行ローンは債務不履行の状態となり、いよいよ経営が立ち行かなくなっていました。 地主には「賃料を支払わないとドアにチェーンを掛けて締め出すぞ」と脅されたため、わざわざチェーンカッターを買って対抗するほどでした。 1週間以内に500,000ドルの借金をどうにかするよう最終通告を受けたころ、奇跡的に会社へ資金援助してくれる地元の投資家と出会うことができました。...

ブリュワリー紹介『Founders / ファウンダーズ』

Founders Brewing / ファウンダーズ ブリューイング 創業:1997年 拠点:ミシガン州 グランラピッズ 年間生産量:578,400バレル(約67,900キロリットル、2019年実績) 2人のホームブリュワー マイク・スティーブンス(Mike Stevens)とデイブ・エンバース(Dave Engbers)。 大学で出会い友人となったこの2人には、「大のビール好きで熱心なホームブリュワー」という共通項がありました。 マイクをビールの魅力に気づかせたのはシエラネバダ ペールエール。「クラフトビール草創期に西海岸へ旅行に行く機会があって、Red HookやSierra Nevadaのビールを沢山飲んだよ。もともと自分で色々やるのが好きだったから、これは自分でもビールを造れるんじゃないかと考え始めたのがきっかけとなったのさ。」とマイクは語ります。 「ミシガン州のロックフォードという場所にホームブリューショップがあったから機材を一式そろえて、Charlie Papazianの本を隅々まで読みながら自分でビール造りを行った。そうしてビールにのめり込んでいったんだ。」 一方、デイブはホームブリュワーの兄から影響を受けてビール造りを始めました。ビールだけでなくワインやミードまで醸造していた兄。彼の造る酒を飲んで、自分自身でも機材を揃えて始めてみようという気持ちになり、デイブのビール人生が始まりました。 この共通の趣味で意気投合した彼ら2人は大学時代、「自分たちの愛することに人生を捧げたい」と常々考えていました。 「当時ミシガン州のカラマズーにブリュワリーがあったから、我々はグランドラピッズでブリュワリーを開こうと決めたんだ」とマイクは話します。 倒産の危機 しかし、愛することを行うからといって容易に事が進むとは限りません。 1994年から2、3年がかりで事業計画書を書き上げて、銀行に多大なローン融資を受けた後、1997年にオープンにこぎつけたファウンダーズでしたが、創業から最初の3年間は大変な苦労を伴いました。 1990年代半ばにクラフトビール業界で人気であったペールエール、アンバーエール、ウィートエール、ポーターの4種をラインナップとしていましたが、売上は散々な結果でした。 2000年には税金の支払いは滞り、銀行ローンは債務不履行の状態となり、いよいよ経営が立ち行かなくなっていました。 地主には「賃料を支払わないとドアにチェーンを掛けて締め出すぞ」と脅されたため、わざわざチェーンカッターを買って対抗するほどでした。 1週間以内に500,000ドルの借金をどうにかするよう最終通告を受けたころ、奇跡的に会社へ資金援助してくれる地元の投資家と出会うことができました。...